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人が本当に決断した時には、その殆どの部分で達成している事

2008/07/25

まず、
「アフリカの呪術と弁証法的利用、そして、プラセボ効果の真実」
について書いてみたいと思います。営業のHです。
このブログで、僕は「エセ科学」について疑問を投げかけているので、
営業Hはアンチ・エセ科学な、細木カズコ的な世界に真っ向勝負を挑んでると
思われがちですが、
実はちょっと違うんですよ。聞いてくださいよ。
ちょっと出自はウロ覚えなので、申しわけないのですが、
多分、何かの本で読んだのだと思います。その中に、
アフリカでは、呪術が弁証法的に使われている事について書かれていました。
例えばお金を盗んだと思しきジャンボさんがいたとします。
それを疑うマンボさんは、そのジャンボさんを相手取って訴訟を行ったとします。
それを裁決するために、ある部族ではアフリカに自生するある種のアルカロイド(毒のようなもの)を
含んだ豆を食べるという方法を取ります。
この豆は、先述のように毒性があるのですが、
自然由来の物によくある、吐瀉作用もあるので、
もし、ジャンボさんが自分が潔癖だと自信があるならば、それを潔く一気に食べるので、
殆どの部分を吐いてしまい、毒性が廻る事はないのですが、
自分にもし、後ろめたい事があった場合、ドキドキしながらゆっくりと食べてしまうので、
その心拍数が上がった事と、ゆっくり食べた事によって吸収がよくなり、
死んでしまうといった物です。
また訴えた方の原告も、自分の訴状に自信がない場合は、上と同じ状態になります。
勿論、両方が死ぬ事も、両方が生き残る事もあるそうです。
このように、科学的検証のない世界では、呪術は社会学的に立派に機能してしまい、
「お前にシマウマの骨を使った呪いをかけるぞ!」と言う【言葉】や【行為】は、
実行力を持ってしまう側面があるそうなんですね。
(※勿論、近代化著しい現代において、このような方法がまだ息衝いているかは
自信がないのですが・・・。)

つまり、ここです。
社会の通念や、その常態、また集団意識などが働いた場合、科学的根拠がなくても
結果として有為に働く場合は充分にあり得る事。
簡単に言うなら、その「シマウマの呪い」を信じている人は、心労で本当に死んでしまう
可能性があるのです。
そこを僕は否定はしない と言う態度なんですよ。
事実、僕は上記のアフリカの事例を持ち出す以前に、言霊の実用を信じています。
つまり「エセ科学」とは、言い方や語感は悪いのですが、社会的に信じうる背景を持って
いた場合に、実行力はあり得るんですね。
しかし僕は、
その実行力を潜在的に持っているのは、皆様自身であるという事実をもっと採りたいワケです。
火事場のバカ力なんて申しますが、
多分、人間はその人間自身を守るために、普段の力の入り具合をセーブしているのですが、
何かのきっかけを与えてもらえば、力を良い方向に使う事はできると思うのです。
その「きっかけ」になるものさえあればいいワケですから。
それがお守りでも、塗り壁材でも、イワシのアタマでも何でも構わないと思います。
しかし、その結果を出せたのは、イワシのアタマ様ではなく、ご自分だという部分に
もっと注目してもいいと思うんですね。
つまり、人は自分が心から信じられるものに出会えれば、何事をも成せると思います。
この文章に共感頂いた方にお勧めの小説があります。
「カモメのジョナサン」を書いた、リチャード・バック氏の「イリュージョン」と言う本です。
その中から引用させて頂きます。
 自由が欲しい時は他人に頼んじゃいけないんだよ、
 君が自由だと思えばもう君は自由なんだ

今日の僕のブログが、あなたにとっての「イワシのアタマ」になれますように(笑

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